月別アーカイブ 2009年 7月


2009年 7月 23日

友人のコンサートに行く。



“ステッラポラーレ”友人の鈴木康博さんのコンサートが、私の住んでいるすぐ近くで開かれるというので女房と一緒にでかけました。“ヤス”さんと言えば団塊世代にはご存知の方が多いと思いますが、小田和正さんと一緒にオフコースを立ち上げた凄腕のミュージシャンです。電話では何度か言葉を交わしていましたが、直接会うのは約3年ぶり。女房にいたっては軽 井沢でのコンサート以来、何と15年ぶりの再会です。会場の“ステッラポラーレ”は、このあたり(草加市)では場違いのシャレたイタリア料理のお店で、チャペルが併設されていて挙式もできるようです。

テーブル

因に、このお店はポラスという住宅メーカーが経営していて、もう一軒、三船敏郎さんの別荘だった建物を移築した和風レストランを経営しているとのことです。
自宅から車でわずか15分で“ステッラポラーレ”へ。夕方の5時からディナーをいただいたあと、いよいよ6時半からギターを抱えた鈴木さんが登場。伸びやかで美しい歌声と抜群のギターテクニックで懐かしい曲や最近の曲など、約2時間ぶっ続けの生演奏で楽しませていただきました。久しぶりに聴きましたが、まだまだ声も若々しく、とってもハツラツとしていました。私も“ヤス”さんとは同い年。まだまだ負けてはおられません。


鈴木さんと

ライブ終了後、お互い結構若いネなんて励ましあい、昔話や、今週から始まる私の展覧会の話などをして別れました。 “ヤス”さん、これからもお互いにがんばりましょう!!

2009年 7月 17日

わが家の愛犬“ムッシュ”と“ハナ”


ワンワン・ケアグッズ私は、愛妻と2頭の愛犬につつまれて暮らしています。今回のお話の中心は、15才になるトイプードル“ムッシュ”と、道ばたで出会ってそのまま家族の一員となった10才になる“ハナ”について記します。

長年一緒に暮らしている“ムッシュ”を何とか世の中にデビューさせたいという想いもあって、2年前に愛犬専用のシャンプーとサプリメントの企画を友人と一緒に共同で開発することにしたのです。もちろん、ブランド名は[Dr.ムッシュ]。そして“ムッシュ”のイラ
ストも自らが手がけて商品からリーフレットにいたるまで登場させてしまいました。愛妻からも嫉妬されるほど完璧な溺愛状態です。

ワンワン・シャンプーこの[Dr.ムッシュ]ブランドは、“こんにゃく”を主原料とした100%食品素材で作ったシャンプー&リンスに加えて、“米ぬかはいが”を主原料にスピルリナといった人間にも効果の高い栄養素を配合した補助食品的サプリメント(3タイプ)の全5アイテムがラインナップしています。

シャンプーは、“ムッシュ”も“ハナ”も1年半前から使っていますが、100%天然食品素材なので極めて安心、その上、犬独特の臭いもおさえられ、フケ症で皮膚のデリケートな“ハナ”には効果テキメン! 今週もお風呂に入れて、シャンプーしようと思っています。
ワンワン・サプリまた、サプリメントの方は粉末タイプとなっていて、2年前から毎食ドッグフードにふりかけて食しているせいか“ムッシュ”は15才とは思えない俊敏な動きで元気に階段を昇り降りしています。

ご希望される方は…フリーダイヤル0120-567785(株)コールディレクターズまで、ご連絡ください。私の友人がやさしく手配してくれます。

最初は、愛犬たちとの出会いの話を書こうと思ったのですが、今回は私と友人とで立ち上げた愛犬専用のケア商品の宣伝になってしまいました。スミマセンです。次の機会に、必ず書きますので今しばらくお待ちください。

2009年 7月 8日

作品との25年ぶりの再会


出張で久しぶりに大阪へ。

北浜の街中で「京都銀行」のロゴマークに出会いました。

京都銀行私がCI・VIの仕事を始めて間もない1984年に手がけた懐かしい作品です。
印刷物では数えきれないほど見てはいるものの、街中で見るのはこれが(写真)初めてでした。

 

シンボルマークの作者は、アメリカ在住のデザイナー・レイ吉村氏。
当時は、CI・VIの先駆者としてまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、多くの日本企業からオファーがあり、毎週のように太平洋を往復する超多忙なデザイナーでした。

彼の代表作は、マツダ、協和発酵、ダイエー、コクヨ、東京都など数多くの作品があります。
そんな中で私が担当したのは、この京都銀行の和文ロゴタイプでした。
彼は若くして渡米したために和文ロゴタイプがあまり得意ではないとの事で、
私に依頼がきたというわけです。彼とは、その時が初対面ではなく、1980年にミノルタ(現コニカミノルタ)のCIマニュアルを担当したことがあり、その時からのおつきあいになります。

当時の彼の事務所は、ニューヨーク・マンハッタンのど真ん中。
もとは印刷工場だったというビルの広いワンフロアをパーティションで仕切っだけという究めてシンプルで洗練されたオフィスでした。
北側の窓にはエンパイアステートビルが見え、南側の窓からは自由の女神像を望むことができました。
でも実際の作業はソーホーにある彼の自宅やロングアイランドの別荘で遊びをかねてやったものです。今考えると随分とハデに仕事をしたものです。
その後、彼とは何度か仕事をしましたが、1998年のマツダの仕事を最後に第一線を退かれたご様子。レイ吉村氏とも、ぜひ再会を果たしたいですね。

25年という時の流れが、ついこの間のような気がします。
月日の経つのは本当に早いものですね!!それにしても自分の作ったものが、
こんなにも長く使っていただいているなんて、本当に作者冥利といいますか、実にうれしいものです。

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